人はなぜテスト前に部屋の掃除を始めるのだろう。物と記憶の結びつき。

僕は、油断すると部屋が散らかっていくタイプの人間だ。

この間、夜に部屋でテスト勉強をしていた時 “あの衝動” がまた僕を襲ってきた。

そう、勉強する前に机の上を片付けたくなる、あの抑えがたい衝動だ。

思考発生装置としての物

いつもならその衝動に負けて、片付けになかなかの時間を割いてしまう僕だが、今回はとりあえず邪魔なものを全てバッと箱に突っ込み、勉強に戻った。

あの不思議な衝動はリアルだ。

多くの人が同じことを経験しているだろう。



気の散り方を客観視して冷静に観察すると、パターンがわかった。

集中力が散漫な時は、目に別の物が入っただけで気が散ることになる。

物が連想させる出来事に意識が移ろい、しばらくそれと戦うが、結局耐えきれなくなって、物をまず視界から無くそうという構造だ。

勉強や仕事中に限らず、目に入った物は常に人の意識を奪っている。

音や匂いも同様で、人間の意識は、みるみるうちにそちらへ引っ張られてしまう。

ミニマルであることの隠れ効用

そう考えると「部屋や机の上が綺麗な人は仕事ができる」というあの言い分には一定の説得感がある。

視界がクリアだと、思考もクリアになるのだ。

仕事ができる人ほど物に執着がなかったり、ミニマリスティックなライフスタイルを送っていることには、ここで合点がつく。

ジョブズから一躍広まった(?)ミニマリスト的ライフスタイルの効用として「決断の数を減らす」がクローズアップされることは多いが、「必要のない思考が発生する芽を摘んでおく」意味でも、物は多く持たない方がいいと思った。

本当に考えたいことに時間やマインドを使うことで、より深く、よりクリエイティブな思考に辿り着ける。

物も情報も何もかも、本当に必要なもの以外、全く必要じゃない。

ん?なんか違うな。

まずは机周りを綺麗に保とう。

やれやれ。